ヨット雑誌の連載記事を書くための調べ物をしていたら
懐かしい名前に遭遇した
ぼくがプロセーラーを目指して初めてニュージーランドに渡ったのは
1983年2月のこと
ランギトト島が目の前に見えるタカプナビーチに行くと
1981年にワールドを制したデイヴィッドとハーミッシュや
クリス・ディクソンとやジョーィ・アレンや
マーリィ・ジョーンズやピーター・エバンスたちが乗る470艇群が
平日は夕方から 週末は朝から練習に明け暮れていた
その後デイヴィッドとハーミッシュは
その年(1983年)と1984年の世界選手権も制したのだった
デイヴィッドは 複数回のアメリカズカップにも関わった
1987年のアメリカズカップへのNZの初挑戦では
控えのスキッパーに耐えたが
その年の北半球の夏には
12m級世界選手権でNZ代表艇のスキッパーになり
日本の小林正和氏が率いるベンガル・チェレンジとの大接戦を制して
優勝を勝ち取った
その翌年には
今もオークランド海洋博物館の入り口に展示されている
Kボートのスキッパーとして
アメリカズカップに挑戦した
デイヴィッドはその後
多発性硬化症という難病に冒されたが
偶然にも同じ病に罹ったリチャード・ドッドソンとともに
セーリングを続けた
ぼくがデイヴィッドと最後に話したのは
確か2003年前後のことだったが
いつも羨ましいくらい穏やかで
大尊敬するセーラーであり人間だった
デイヴィッド・バーンズは
2020年10月に亡くなった。